電子書籍元年

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iPad発売とその爆発的な売れ行き(海外)に対して電子書籍元年と騒ぎ立てています。様子見だった出版業界も最近こぞって本格参入を発表しており、大資本の投資も動き始めています。このような提供側主導のブームは失敗することが多々あり、海外で成功しても日本特有の文化というか国民性が邪魔をする場合もあるので、ほんとうにどうなるのかわかりません。

ただし、失敗した場合に損をするのはいつも消費者ですので、メリットとデメリットは見極めておく必要があると思います。

私としては、電子書籍と大きな分類ではなく、賞味期限と文化的価値で分け、賞味期限の短いニュース的な要素の高い雑誌は「安価に提供されるなら」電子書籍の方が良いと思います。逆に文化的価値があるとか、時間で内容の価値に変化が起きない文芸作品は電子書籍だけにすべきではないと考えます。

 

まず、価格についてですが、電子書籍は昔からいろいろと出ています。シャープのZAURUSでは電子書籍ビューアが昔から提供されており、一部で細々と商売が成り立っているようです。他にも電子書籍はいろいろなフォーマットで提供されています。一時期、PDFフォーマットでAcrobatのDRMがかかった書籍を買おうと思ったものがあったのですが、値段が紙の書籍と同じでした。

出版業界は情報を売っているので、紙で提供しようと、データで提供しようと、内容の価値には変わりないので価格に変更は無いとの考えなのでしょうか。週刊ダイヤモンドは企業向けに記事のダウンロード販売を行っています。以前は会社で契約していたので利用したことがありますが、PDF版で一つの記事が300円から500円程度でした。だいたい特集だと5個ぐらいに分かれていますので、特集だけでも雑誌を買った方が安くなります。

日本人は収集欲が強いように感じます。レンタルビデオやオンデマンド放送などが普及してもDVDやブルーレイの市場は無くならず、市場は縮小したとは言えそれなりの規模は維持しています。そのためか、DVDなどのパッケージや本のように形の残らないデータに対する価値観が格段に低いように感じます。なので、本の形態をしていない電子書籍は安くなければおかしいと感じてしまいます。

今回、大手が電子書籍に参入するにあたり、一部の作家は赤字覚悟で格安で提供してくれるとのことで、他の作家も賛同してもらえれば、価格の問題は解消するかもしれませんが、印税という仕組みを変えないと価格破壊は実現しないかもしれません。

 

つぎに電子ということに起因する問題ですが、人間は、電子情報を直接見る感覚器は備えていませんので何かしらの装置を用いて視覚で認知できる状態にしなければなりません。これがビューアですが、iPadやPCのように装置だけ提供され、そのうえで走らせるソフトによりどのようなフォーマットにも対応できるものと、amazonのKindleのようにソフト込みの装置があります。これらが提供される限り電子書籍を読むことは出来ますが、提供しているのは一企業ですから、当然、倒産や廃業などということが起こりますし、事業撤退もあります。

いくら購入した電子書籍が手元のHDDに残っていてもビューアが提供されなくなれば読めなくなります。装置が残っていてもバッテリーや液晶には寿命がありますので、じきに使えなくなります。PCにしても、もととなるOSはインターネットからのセキュリティの脅威に晒される危険性のあるサポートが終了したWindows 95やWindows 98はTechNetでも既に提供されていませんので、現状のOSも十数年後には同様に提供されなくなります。

ニュース性の高い雑誌なら、時間の経過とともに内容の価値が下がり、再度読むようなことはほとんどありませんので、読めなくなっても大きな問題にはなりません。しかし、文芸書や文庫など、自分の人生に影響を与えた本は誰にでもあると思います。それが今後電子書籍でしか提供されなくなると、子供や孫に「この本はとてもよい本だから一度読んでみなさい」などということは出来なくなります。

 

最後にDRMですが、当然、権利者の権利を守るために電子書籍にはDRMがかけられます。現状、日本ではデファクトがありませんので、しばらくは乱立状態になるとは思いますが、権利の確認を一定間隔で権利者が確認する仕組みのDRMの場合は、大きな問題をはらんでいます。

MSではOffice 2003からOffice文書にサーバーから権利を与えられないと内容を見たり改変したり出来ないようにする仕組みを提供しています。毎日のように情報漏えいが絶えないある企業では、せめてメールの誤送信や、暗号化していなかったことによる情報流出を避けるため、全社にこのシステムの導入を強制しました。情報流出は抑えられましたが、あるとき全社でOffice文書が開けないという事故が発生しました。原因はビューアにあたるOffice 2003が持つ見る権利が切れるのに誰も気付かなかったことでした。

一定間隔で権利を確認する仕組みは、PegasysのTMPGEncシリーズでも採用されており、インターネットが普及した現状では一般的に使われている技術です。確認は明示的に行われるものと、裏で自動的に行われるものがあるので、どちらのDRMかは電子書籍を見ているだけではわからないと思います。

Office 2003は事故ですが、盗作による出版停止、廃刊をDRMまで行うとか、青少年保護育成条例のように表現の自由を奪う条例が成立してしまえば、国や地方自治体の出版社に圧力をかけ、既に販売された電子書籍のDRMを停止し、読めなくすることも簡単に出来てしまいます。

つまり、電子書籍や電子出版というものは情報統制をかけたい側にとっては非常に都合のよい仕組みなのです。

 

最後に、直接人間の感覚器で知覚できない媒体は、いくら重要な内容としても歴史的価値は皆無だと思います。古代遺跡の絵文字や太古の文献などは、解読の可能性が残されていますが、今のビデオテープやCDなどは数百年後の文明では情報が詰まっていることすら認識されないかもしれません。すでに、ELCASETとはVHDなど再生することすらままならない媒体がでてきています。

 

音楽や映画のように媒体とビューアを介さないと人が知覚できる形で残せないものは仕方ありませんが、本のように人の目で直接知覚できる媒体を、利害関係だけの理由でわざわざ媒体とビューアを必要とする電子書籍にする必要はないと考えます。

雑誌の電子書籍での提供は安価にする方向ですすめてもらえるなら歓迎ですが、文庫本などの紙での出版はやめない
でもらいたいです。

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